■イギリスの直轄地となったカルカッタは音楽の都として栄えるようになり、踊り子達は英国人という新たなパトロンを見つけ、人生を謳歌したと言われています。
画像:英国統治時代のドゥルガ・プジャー(カルカッタ)
■アワドやラジャスタンでも親英の藩王の庇護によって、北インド文化は爛熟期を迎え、歴史に残る優れた芸術家達を輩出しました。
アワドでは、プラサード一族の若き獅子であるビンダディン・マハラジとカルカ・プラサードが頭角を現しました。彼らのパフォーマンスは、全インドで熱狂的な支持を得、カタック・ナトワリ・ヌリッタは一世を風靡しました。
また、ビンダディン・マハラジは3000を越える美しい詩を残し、現在のラクナウ派カタックダンスの曲に使われています。
■ウルドゥー語ではタワイフと呼ばれた当時の踊り子達は幼いときから優れた師について教えを受け、師から許しを得て宮廷に上がり、高貴な宮廷人のサポートを受けて高い教養と芸妓で人々を魅了しました。
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