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■著名なカタックダンサー


カタックダンスは、紀元前5世紀ごろ、「カタカ」と呼ばれる身分の高いヒンドゥー教の語り部達が神話や英雄物語を伝導して歩いたことが起源とされています。

16世紀以降、北インド一帯がムガル帝国の支配下に置かれるようになると、カタカ達はその芸術性を認められて宮廷に庇護され、華やかな宮廷舞踊が繰り広げられようになりました。

隣国ペルシアの豪華絢爛な王朝文化を模したムガル宮廷では、宮廷語としてペルシア語が用いられ、現地語とペルシア語の混成語であるウルドゥー語が形成されました。

宮廷人は美しいウルドゥー語の詩を競いあうようにして作り、音楽と舞踊もペルシア文化の影響を受けて大きく発展していきました。

画像:16世紀、ムガール帝国支配下の宮廷内カメラ


18世紀以降、弱体化していったムガール帝国に隣接するアワド藩王国(現在のラクナウ)では、世界一の繁栄を夢見た太守ワジド・アリ・シャーのパトロネージの下、北インド宮廷舞踊は全盛期を迎えます。

太守自らが、僧侶階級出身の高名な師匠(タクール・プラサード)を宮廷に迎えて踊りを習い、ハーレムの女性で舞踊団を結成してヒンドゥー神話の舞踊劇を発表するなど、音楽舞踊人のために湯水のようにお金が遣われました。

しかし、享楽の時は長く続かず、太守は英国によって莫大な年金と共にカルカッタに追放され、全インドは英国統治時代に入ります。

画像:ラクナウの踊り子カメラ
画像:アワド藩王国の街カメラ

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